2008年05月16日

ファブリックパネル

またn.e.l.の布

ファブリックパネルが好きだ。

しかし高い。購入するにはそれなりのキッカケと勇気がいる。
結局、今に至るまでキッカケもなく勇気も出ず、気持ちばかりが空回って困るので、自分で作ってみることにした。

作り方はコチラを参考にさせていただく。

購入したボードが小さかったおかげでそれなりに仕上がったが、残念ながら角がすこしモッサリしている。それでも軽くてピン1本で壁につくのと、何度も張り替えられるのは嬉しい。
発砲スチロールでもできると思うが、個人的に発砲スチロールは見るだけで鳥肌が立つので使えないのであった。

もう少し大きかったり、柄をあわせなければいけなかったりすると、私のような不器用で荒々しい性格の人間にはけっこう難しいかもしれない。
posted by 飼い主M at 00:04| Comment(1) | TrackBack(0) |

2008年05月01日

真昼の廃人 真夜中のHigh人

再入場用スタンプ

『真昼の廃人 真夜中のHigh人』というライブイベントに行く。

このイベントはganjaというバーの16周年を記念するものらしい。ganjaには行ったことがないけれど、愛するピロウズが出演するというので、なんとなくチケットを取ってみた。

午後2時に会場に到着する。このイベントはライブにしては珍しく昼間から始まるのだ。
しかし、会場で衝撃の事実を知る。終了予定時刻が午後9時(!)だというではないか。おそらくピロウズは午後8時を過ぎないと登場しないと思われた。

「なるほどー。だから『真昼の廃人 真夜中のHigh人』なんやなー」

夫は妙に感心していたが、今回は完全な私のリサーチ不足である。申し訳ない。

そしてイベントが始まってすぐ、さらなる衝撃を受ける。
ソレは優雅なティータイム午後3時、スキンヘッドに黒いブーメランパンツをはいた男性の、突然のシャウトで始まった。
彼の名は『クリトリック・リス』。イベントのトップバッターである。
とにかく延々と己の下々しい身の上話を叫び続ける彼の、ミュージシャンというにはあまりに芸人寄りのパフォーマンスに、夫婦ともども度肝を抜かれる。

”鳩が豆鉄砲を食らう”という諺があるが、私はこのとき初めて、豆鉄砲を食らった鳩の気持ちがわかった気がした。

彼はこの後もステージ上のミュージシャンが替わるたびにMC(?)として登場し、身の上話を語り叫び続けた。
ポカンとしながらもしばらく聴いていると、そのうち彼の動きとシャウトに慣れてきた。人間とは不思議なものだ。結局なんだかんだで聞き入ってしまった。彼は話も上手いし、声もよく通るのだ。

そんなわけでこのイベントが終わる頃には、『クリトリック・リス』杉村さん(←本名)の身の上にかなり詳しくなり、まるで知り合いみたいな心持にさせられる。

しかし彼はまたの名を『下ネタのナポレオン』という。
どの曲にも、放送コードに触れるような、女性がたいへん笑いにくい下ネタを盛り込んでくる。
しかも、基本は一人で叫ぶばっかりのくせに、そんなときだけ「ヘイカモン!」と客に絡んでくる。とても困る。

そんなわけでピロウズを見に行ったはずなのに(そしてピロウズはいつも通り素敵だったはずなのに)、帰りの電車では

「おい一休ハゲ坊主!トンチはどうした!」

という「ブラックな一休さんの夢をみた歌」(←適当に命名)のサビ部分だけが頭を回り、ピロウズの余韻にも浸れず、ganjaの場所もわからずじまいなのであった。
posted by 飼い主M at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2008年04月24日

約束

約束

『約束』を読む。

石田衣良氏はそれほど得意ではないが、この本は読んでいて何度も泣きそうになる。
大切な人が、目の前で殺されたり駄目になってしまったり、そういう深い喪失と哀しみのなかにいる人たちに、奇跡ともいえる救いが訪れる。そういう話を集めた短編集である。

主人公はみな突然の理不尽な不幸に翻弄され、その姿は見ているだけでとてもつらい。
そのうえ、この本が提示する解決はあまりにも都合が良すぎる、と個人的には思う。
それでもすべての主人公が最後にそれなりに救われるという事実には、やはり心が安まる。
現実はこんなにはうまくいかない。それはもう間違いなく。
けれど、どんなに嘘臭くてもいいから、こういう奇跡が少しでも多くの人に訪れることを願わずにはいられない。
posted by 飼い主M at 22:56| Comment(2) | TrackBack(0) |

2008年04月15日

意味なくスペイン語

夫の陰謀(?)によって、我が家にストウブがやって来た。せっかくなので、これからいろいろ作ってみようと思う(←前向き)。

偶然というかなんというか、ちょうど我が家の炊飯器が謎の分解を始めたところなのであった。
2〜3日に1つの割合で部品がボロボロと取れていく。
炊飯器に関してはまるっきりの素人だが、どれもこれも結構重要な部品のように見える。そして、どうもすでに圧力釜ではなくただの釜になっている、気がする。
まあ10年近くがんばってくれているので、仕方がないといえば仕方がない。

というわけで、まずは米を炊いてみた。
米と水を入れて弱火で15分、何がどうというわけではないのだが、それでも炊飯器で炊くよりはかなり美味しくできる。
なんというか芯が一本通った、男らしい(?)米に仕上がるのだ。
普段、米を食べない夫(←飲んでばっかり)さえモリモリとおかわりしていた。

残念ながら我が家の炊飯器は、10年目にして現役引退が決定したのであった。
posted by 飼い主M at 23:44| Comment(2) | TrackBack(0) | ストウブ

2008年04月03日

ゴールデン・スランバー

ゴールデン・スランバーとABBEY ROAD

『ゴールデンスランバー』を読む。

伊坂幸太郎2年ぶりの書き下ろし長編ということで、期待して読み始める。
読み終えるのに思いのほか時間がかかったが、それは面白くないからではなく、読み終えるのが惜しくて何度もページを行ったり来たりしていたせいだ。
だた、時間軸が過去・現在・未来を行ったり来たりするうえ、それぞれの章にけっこう重要なキーワードが隠されていたりする。本当に油断がならないので、名残を惜しまなくてもそれなりに時間がかかっていたかもしれない。

すべてを読み終えてパタンと本を閉じたときには

「これこれ。これを待っていたのよ」

と満足感とともに思う。
けれどやっぱりまだまだ読んでいたいという気持ちは抑えきれず、ベッドに入ってまたページを捲り出す。
すると初回は読み流していたある一文に目が留まり、そこから想像が広がって眠れなくなる。

事件の20年後、あの文章を書いたのはいったい誰なのだろう。

(後日談のような)
posted by 飼い主M at 23:22| Comment(4) | TrackBack(0) |

2008年03月09日

正露丸

必須アイテム

先日の朝、夫が正座している私の太ももあたりにジュースをこぼした。結構大量にこぼした。
朝で魂が抜けていたこともあり、しばらくジュースをさせるがままにしていたけれど、
慌てた夫が「ぞうきん」を持って来たことで、少し我に返る。

「え、ぞうきん?」
「そうや、ぞうきんや」
「……ぞうきんで拭くん?」
「……じゃあ何で拭くん?」
「……」

夫があまりに素朴に聞いてくるので、よくわからなくなってきた。
確かに何で拭くんだろう。ぞうきん以外になにがあるんだろう。いつも一体何で拭いていたのだろう。
ぞうきんで拭いていたのだろうか。床ならまあそうだろう。
けど、今拭いているのは私の服だ。でもじゃあ何で拭くのが正しいのだろう。

残念ながらそのときはとっくりと話し合う時間もなかったので、混乱したまま会社へいく。
電車に乗ってから、ふとエジプト(←新婚旅行)での出来事を思い出した。

旅行も後半に差し掛かった夜中、私は突然ゲレゲレと吐いた。
原因がその日食べた生野菜だったことは、ほぼ間違いなかった。
旅先で生ものを食べないことは常識である。
しかし目の前で生野菜を美味しそうにバリバリと食べ続ける非常識な男(←夫)と数日を過ごしているうち、つい「アタシだって」と思ってしまった。
実際エジプトの野菜や果物はやたらとみずみずしくて美味しいのだ(←とくにトマトは絶品)。乾燥した土地だからだろうか。

そんな妻の突然のゲレゲレ劇に慌てた夫は、正露丸を持ってきた。
とめどなく襲ってくるゲレゲレで心も体もかなり弱っていたけれど、「正露丸」がどうにも引っかかって思わず言葉が出る。

「え、正露丸?」
「そうや、正露丸や」
「……正露丸なん?」
「……じゃあ何がいいん?」
「……」
「ほらここに食あたりって書いてあるし」
「……」
「とりあえず飲んでみ?」
「……う、うん……」

このときも、この場合正露丸は正しいのか、正しくないなら一体何を飲めばいいのか、随分と混乱した。
結局、正露丸は30分後、その役目を果たすことなく私の口から飛び出して便器の中へと吸い込まれていった。

便器のそばにへたりながら、流れていく黒い粒をやっぱり違ったなと妙に冷静な心持で眺めていた。旅行の記憶は薄れつつあるが、そのことだけは今もよく覚えている。

翌日、夫は同じツアーのオバサマ達に処置がなってないとこっぴどく叱られていた。
オバサマ達がいうには、ゲレゲレしているときは何をのんでもだめらしい。ゲレゲレがそこそこおさまったら抗生物質と胃薬を飲むのがいいそうだ。
ちなみに私たちはどちらも持っていなかった。結局どうしようもなかったわけだ。

結婚するということは、価値観の違う2人が一緒に暮らすということである。
私は自分の価値観にあまり自信がないのでこれから先もきっとこういうことが起こるだろう。
かといって夫の価値観もなんだか怪しい。だからこれからもきっと、痛い目をみないと学習しない。なんだか大変なのであった。
posted by 飼い主M at 23:01| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2008年03月03日

夏休み

夏の記憶

夏が終わる、というのはなんというか他の季節にはない独特の切なさ、みたいなものがある。
熱くて、にぎやかで、高ぶっていて、そういうものが、あるときふっと熱も喧騒も失い、やがて静かに過ぎ去っていく。
夏の終わりの生ぬるい、でもけっして暑くはない世界のなかで、それがもう二度と戻らないということを知るのだ。

だからこそ「夏休み」は特別なものである。
何かが起こる予感をはらみ、けれど何かが確実に失われる季節のなかでもまぶしいほどに輝くスペシャルな時間、それが私にとっての「夏休み」である。

中村航『夏休み』はそんな夏休みに2組の夫婦に起こったある事件の話である。
残念ながら冬のまっさかりに読んだので、「夏」の特別さをあまり感じることができなかったが、それでも十分に楽しめた。
以前読んだ『リレキショ』よりも色々なことがより具体的に描かれていて、さらに登場人物が皆とても素敵で私好みのさっぱりした人々だったので最後まで気持ちよく読めた。
あいかわらず、物事の起こる理由についてはあいまいなままの部分も多いが、今回は『リレキショ』のときほど気にならなかった。

できれば夏の終わりのぬるい空気のなかでもう一度読んでみたいものである。
posted by 飼い主M at 22:20| Comment(2) | TrackBack(0) |

2008年02月19日

鹿男あをによし

鹿男あをによし

『鹿男あをによし』を読む。

今まさに連続ドラマで放映されている。
原作もよく知らなかったのだが、タイトルに惹かれてつい1話2話と見てしまった。そのままするすると引き込まれている。
ドラマではないが「おネエMAN’S」もわりと熱心に見ている。私は今、IKKOさんに夢中なのだ。

まあそれはともかく。

とある大学の研究室でトラブルを起こして、奈良の女子高に先生として赴任することになった、ちょっと神経衰弱ぎみの男が、ある日鹿に話しかけられる。

「さあ、神無月だ――出番だよ、先生」

そこから彼は日本を救うため、東奔西走することになる(←急にオオゴト)。
果たして彼は日本を救うことができるのか――

というのを1話2話と見ていくにしたがい、どうにも不安が大きくなってきた。
ドラマが原作をどのように再現しているのか、その時点ではわからなかったのだが、奈良という街の独特の雰囲気や鹿、日本の神や歴史をめぐる謎、そういうものが次々とテレビ画面に展開されていくにつれ、

「もしかして原作の小説は、ものすごく面白いのではないか」

まあそんな気がしてきたのである。

もし中途半端に省略されたり変更されたりしたまま(←そういう危険性はドラマ化にはけっこうある)うっかりオチだけ知ってしまうと、せっかくの小説の楽しみが半減してしまう。それはものすごく損なことのように思えた。

そんなことを考え出すとドラマもイマイチ熱心に見ることができなくってしまい、慌てて本屋に走って本を購入する。それから2日ほどで一気に読んでしまった。

結論からいうと、やはり先に本を読んでよかったと思う。
ドラマにはやはり多少の省略と変更があるみたいだが、原作の雰囲気は良く出ていると思う。1話2話を思い返してみても、さほど気にならない。
けれどやっぱり先に本を読んでこそ、「2度オイシイ」気分が味わえる作品である、と思う。

とにかくこれでようやく安心してドラマに集中できる。よかった。
posted by 飼い主M at 00:01| Comment(2) | TrackBack(0) |

2008年01月26日

ワーキング・ホリデー

上部のヘンな毛は気にしないでください

『ワーキング・ホリデー』を読む。

ハニービー・エクスプレス、通称「ハチさん便」という宅配会社に勤める元ヤンで元ホストの主人公沖田大和と、息子を名乗って大和の前に突然現れた小学生、進のひと夏の物語である。

坂木司氏の小説は、『青空の卵』を皮切りに何冊も読んできたが、今回の『ワーキング・ホリデー』を読んで「あぁ、うまくなったな」と思った。
文章も展開も、滑らかでテンポが良い。ほんとうにするりと読める。
随分と偉そうな感想だが、本を閉じて最初に思ったのがソレなのでどうしようもない。

やはり文章というのは、書けば書くほどうまくなるのだろう。
あとは他人に読まれること、であろうか。
ある作家が何かのテレビ番組で、文章がうまくなりたければとにかく書いて書いて書きまくり、それを誰かに読んでもらうことだといっていたが、それは案外真実なのかもしれない。

かくいう私も高校時代、担任の先生に

「キミは最初に書いたことと最後に書いてあることが違うね」

といわれるほどひどい作文を書いていた。
しかしブログはもうすぐ2年、日記も足掛け8年、結構な時間を文章に費やしてきている。
……それなりの成果が上がっているとよいのだが。
posted by 飼い主M at 13:19| Comment(3) | TrackBack(0) |

2008年01月19日

キサラギ

スペシャル・エディションもアリ

『キサラギ』
近年稀にみる私的スマッシュヒット映画である。

自殺した売れないアイドル・如月ミキの1周忌に集まった5人の男。
彼らはファンサイトで知り合い、如月ミキ追悼のために集まってきた。
ところが、
「如月ミキは自殺じゃない。殺されたんだ」
と言い出す人物が。
如月ミキの思い出話で盛り上がる筈だった追悼会は、この一言から意外な方向へ転がっていき、やがてひとつの結末を迎える――。

とまあこういう話である。
密室のなか、5人の男の会話だけで、話が進行していく。
それでも最後まで全く飽きさせない。むしろ「まだ(タネが)あんの!?」という感じでお腹いっぱいになる。
5人の会話のテンポが良いのはもちろんだが、驚くべきはストーリーの緻密さだ。
無駄な布石は一切なく、後半は一気にパズルのピースが組み上がっていく。その様はまさに圧巻である。
しかし完璧に組み立てられた展開にも、ほんの少しだけ余白がある。それがまた、見終わったあとの余韻につながるのだ。

楽しくて、緻密で、温かくて、ちょっとだけ切ない。

雰囲気はまったく違うが、物語にたいする緻密さでは、J・アーヴィングの『オウエンのために祈りを』と通ずるものがある、と思う。
どうも私はこういう話がとても好きらしい。

『キサラギ』は、もともと舞台のためのシナリオだったようだ。
確かに映画を見ていて、何度も舞台を見ているようだと感じた。
『キサラギ』の舞台は残念ながら配役が誰で、いつどこで上演されていたかもわからないのだが、もし再演があるなら、ぜひ見に行きたいものである。
posted by 飼い主M at 21:06| Comment(2) | TrackBack(1) | 映画