2007年03月25日

原作のある映画たち

近頃、原作のある映画ばかりを見ている。

かもめ食堂(小説)
■■かもめ食堂(小説)■■

間宮兄弟(映画)
■■間宮兄弟(映画)■■

博士の愛した数式(映画)
■■博士の愛した数式(映画)■■

県庁の星(小説)
■■県庁の星(小説)■■
県庁の星(映画)
■■県庁の星(映画)■■

映画というのはどうがんばっても2時間前後でまとめなくてはならない。
なので、たいていの場合、原作の内容は端折られている。

『間宮兄弟』にしても『博士の愛した数式』にしても、いろいろなところでいろいろなことが省略されているので、小説を先に読んでおいた方が、登場人物の背景がよくわかって見ごたえが出るとおもう。

ちなみに『博士の愛した数式』では、映画の序盤で友愛数の話が出ただけで、その後の展開を思い涙が出てきてしまった。

『県庁の星』は、まだ小説しか読んでいないが(←レンタルDVDが家にある)、原作ではスーパーのヌシである40代のオバサマを柴咲コウが演じているあたり、このオバサマの20歳の息子との葛藤が根こそぎカットされているとおもわれる。
二人の間でどうしようもなく絡まっていた糸が徐々にほぐれていく様子がとても好きだったので、少し残念だ。

ところで『かもめ食堂』だけは別である。
この映画を見るにあたって、登場人物に細かな設定は必要ない。
むしろそういった背景をあえて語らないことで、彼女たちの魅力はさらに輝いている、気がする。
とはいえ、そんな彼女たちをもっと知りたい気持ちもあり、結局小説もしっかり読んでしまった。
たしかに小説では、彼女たちの知られざる一面を垣間見ることができる。それなりに興味深いものはある。
しかし、映画を見る前に読んでいたら、映画の印象はずいぶん違ったものになっていたと思う。

個人的には何も知らずに見ることができて幸運だったと思っている。何でも詳細を明らかにすれば良いというわけでもないらしい。むずかしいハナシである。
posted by 飼い主M at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月11日

おかえり

おかえり
■■おかえり■■

『おかえり』は、どこにでもいるような平凡な夫婦に、ある日訪れる危機を描いた日本映画である。
毎日、仕事や付き合いで帰りが不規則な夫、ピアニストになることをあきらめて家で夫の帰りを待つ妻。
2人は、少しだけ喧嘩したり、少しだけ笑ったり、少しだけ寄り添ったりして毎日を過ごしている。

そんなある日、夫は、妻の様子がいつもと少しだけ違うことに気が付く。
実はこのとき既に、妻は壊れ始めていたのだ。
夫は戸惑いながらも、妻に寄り添おうとする。
2人はこの先どこへ行きつくのか――。
とまあ、そんなストーリーである。

当然ながら、暗い。そして静かだ。
全編を通じて、音楽はほとんど流れない。1ショットごとの間がひたすら長い。

ところで私はこの作品を映画館で2回観ている。

初めて観たとき、私はまだ21歳で、就職活動の真っ最中だった。

当時の私は闇雲に面接を受けては不採用通知を受け取ることを繰り返していた。
その日もいつものようにぱっとしなかった面接官の反応を思い出しつつ、リクルートスーツの私は公園にぼんやり座っていた。
そこでふと少し先に映画館があることを思い出したのだ。
別に『おかえり』が見たかったわけではなかった。ただ、映画が見たかった。まあ、つまりは逃避である。

そうして観たこの映画は、変な話だけれど、私をとてもほっとさせてくれた。
こういう生活も、世界には確かに存在している。
今、私を取り囲んで今にも押しつぶそうとしているものは、この世界の全てではないのだ。
そう思うと肩の力が抜け、ひどく穏やかな気持ちになったことを覚えている。

その5年後、再びこの映画を観る機会に恵まれた。
結婚して数年が経っていた。

たまたま近くで『おかえり』の上映とトークショーが行われるというので、夫と二人で行ってみる。
気がつくと、私はすっかり映画にのめりこんでいた。特に、妻の百合子に。
百合子が泣いたら私も泣いた。百合子が笑ったら私も笑った。そのくらい熱心に入れ込んで見ていた。

私にとっての『おかえり』は、変わっていた。
5年前、遠く離れた場所にあった彼らの世界は、私のすぐ隣に存在していた。
彼らの世界の振動が、とてもリアルに伝わってきた。
ほっとするどころの話ではなかった。彼らが悲しくて苦しくて考え込んでしまう。彼らの生きていく道を必死に考え込んでしまう。

それは新鮮な驚きだった。

良い映画や良い本は、それに触れた人にたくさんのものを与えてくれる。
けれどそれだけではなく、私たちが今どこに立っているのかを優しく気づかせてもくれるらしい。
posted by 飼い主M at 23:50| Comment(3) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月09日

博士の愛した数式

博士の愛した数式
■■博士の愛した数式■■

いつまでも読んでいたい物語がある。
解き明かすべき謎はなく、たいした事件が起こるわけでもなく、ただ淡々と毎日が過ぎていくだけなのに、登場人物たちの過ごす時間と空気はまぶしく、そしていとおしい。

『博士の愛した数式』もそんな物語だった。
小さな手で世界を支える数字たちを愛する数学者だった博士は1975年、事故に遭う。以来80分しか記憶を保てなくなった博士の記憶はは1975年以前と80分前までのことだけになってしまう。
だから博士は体中にメモを貼り付けて毎日を過ごしている。

胸の一番目立つところにあるメモにはこう書かれている。

「ぼくは記憶が80分しか保てない」

その博士のもとへ派遣されてきた家政婦の「私」と息子のルート。
「ルート」という名前は博士がつけた。ルートの頭が√記号のように平らだからだ。

「おぉ、なかなかこれは、賢い心が詰まっていそうだ」
「√を使えば、無限の数字にも、目に見えない数字にも、ちゃんとした身分を与えることができる」

ルートの頭をくしゃくしゃなでながら、そう言って博士は微笑む。
80分しか記憶のテープを持たない博士は、毎日初対面の挨拶を繰り返す。それでも「私」とルートは細やかな気配りと深い愛情をもって博士と接する。

そんな彼らの時間はとても穏やかであたたかい。
時々小さなすれ違いはあるものの、相手を思う心は強く、まっすぐで、揺るぎない。
記憶には残らなくとも、決して失われることのないもの、それは彼らの時間の中に確かに存在していた。

続きを読む(微妙にネタバレ)
posted by 飼い主M at 01:27| Comment(4) | TrackBack(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする