
■■博士の愛した数式■■
いつまでも読んでいたい物語がある。
解き明かすべき謎はなく、たいした事件が起こるわけでもなく、ただ淡々と毎日が過ぎていくだけなのに、登場人物たちの過ごす時間と空気はまぶしく、そしていとおしい。
『博士の愛した数式』もそんな物語だった。
小さな手で世界を支える数字たちを愛する数学者だった博士は1975年、事故に遭う。以来80分しか記憶を保てなくなった博士の記憶はは1975年以前と80分前までのことだけになってしまう。
だから博士は体中にメモを貼り付けて毎日を過ごしている。
胸の一番目立つところにあるメモにはこう書かれている。
「ぼくは記憶が80分しか保てない」
その博士のもとへ派遣されてきた家政婦の「私」と息子のルート。
「ルート」という名前は博士がつけた。ルートの頭が√記号のように平らだからだ。
「おぉ、なかなかこれは、賢い心が詰まっていそうだ」
「√を使えば、無限の数字にも、目に見えない数字にも、ちゃんとした身分を与えることができる」
ルートの頭をくしゃくしゃなでながら、そう言って博士は微笑む。
80分しか記憶のテープを持たない博士は、毎日初対面の挨拶を繰り返す。それでも「私」とルートは細やかな気配りと深い愛情をもって博士と接する。
そんな彼らの時間はとても穏やかであたたかい。
時々小さなすれ違いはあるものの、相手を思う心は強く、まっすぐで、揺るぎない。
記憶には残らなくとも、決して失われることのないもの、それは彼らの時間の中に確かに存在していた。
続きを読む(微妙にネタバレ)

