2006年11月12日

オーデュボンの祈り

オーデュボンの祈り(文庫版) 
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「祈る」という言葉がわりとすきだ。
祈るという行為は無償であり、同時に無力だ。
けれどそのまっすぐで一途な想いのなかに、あたたかで確かな光を感じる。

「人が祈っていいのは、自分の力が本当に及ばなくなったときだけだ」

山下和美さんが『天才柳沢教授の生活』のなかでそう書いている。こういうシンプルな潔さがとてもすきだ。
それはほんとうにその通りで、結局のところ「祈り」は自己満足に過ぎないのかもしれない。
祈ってもなにも変わらない。祈ることでは願いはかなわない。
けれど人間は祈らずにいられないときがたぶんある。
その祈りのなかに、自分ではない誰か(何か)に対する静かであたたかな愛情があると思いたい。

なぜこんなことを書いたかというと、『オーデュボンの祈り』という本を読んだからだ。
作者は伊坂幸太郎という人で、少し前に彼が発表した『重力ピエロ』という作品は、しばらく話題になっていた。
本屋に平積みされた『重力ピエロ』の帯には、編集者をして「小説、まだまだいけるじゃん!」と叫ばせたという本当かどうかすこぶる怪しいエピソードが書かれていた。
この小説は、実際に何か賞を取っていたような気がするが、私としては帯に大きく書かれた「小説、まだまだいけるじゃん!」が忘れられず、いつか読もうと思った作家だったのだ。

物語のなか、生物学者オーデュボンの祈りは100年間外界から閉ざされた島に生きる未来を予言するカカシへと受け継がれる。
静かな、けれど力強いその祈りは、ある男がその島へやってきたのを契機に一つの結末を迎える。まあそんな話だった。
島のしきたりも住人も、とにかく奇妙で現実感がないのだが、それでも外の世界と同じように嬉しいことや悲しいことがきちんと起こるし、ひどく魅力的な人間も、ひどく残酷な人間もきちんと存在している。
島の人々はまるで別世界に生きているようだが、それでいて島での様子はひどくリアルに迫ってくる。
それが読んでいて嬉しかったり、苦しかったりする。
まあそんなわけで結構夢中になって最後まで読んだ。

設定の奇妙さやテンポのよさに引き込まれたというのもあるが、結論としてこの本を「すきだ」と感じた最大の理由は伊坂幸太郎という作家の根本的な優しさにある。

女がレイプされ、顔を剃刀でずたずたに切り裂かれる。
男が爪をすべて剥がされ膝をカナヅチで割られる。
この小説には、そういった思わず目をそらしたくなるようなひどい場面がよく出てくるし、しかも彼らは救われない。
女は心もずたずたのまま死んでいくし、男も体中から血を流しながら作り上げたカカシを残して死んでいく。
女を傷つけた人間は見つからない。男を傷つけた人間に罰はない。
実際そういう場面は読むのが苦しいし、読んだあとひどく悲しい気持ちになる。
それでも文章から浮かび上がってくるのだ。
作者という神様のあたたかく優しく、そして強い想い。

生きていくんだ。それでも優しさや穏やかさとともに生きていくんだ。
人はそうやって生きていくことができるんだ。

たぶん伊坂幸太郎という作家は根本的なところで人間を信じている。
ひどい人間はこの世にたくさんいるけれど、ひどい出来事もこの世にたくさんあるけれど、それでも人間は自分の力で優しく穏やかに、幸せになれるのだと信じている。
そうして彼は人間に祈る。つまり物語を書くのだ。
posted by 飼い主M at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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