2007年03月09日

博士の愛した数式

博士の愛した数式
■■博士の愛した数式■■

いつまでも読んでいたい物語がある。
解き明かすべき謎はなく、たいした事件が起こるわけでもなく、ただ淡々と毎日が過ぎていくだけなのに、登場人物たちの過ごす時間と空気はまぶしく、そしていとおしい。

『博士の愛した数式』もそんな物語だった。
小さな手で世界を支える数字たちを愛する数学者だった博士は1975年、事故に遭う。以来80分しか記憶を保てなくなった博士の記憶はは1975年以前と80分前までのことだけになってしまう。
だから博士は体中にメモを貼り付けて毎日を過ごしている。

胸の一番目立つところにあるメモにはこう書かれている。

「ぼくは記憶が80分しか保てない」

その博士のもとへ派遣されてきた家政婦の「私」と息子のルート。
「ルート」という名前は博士がつけた。ルートの頭が√記号のように平らだからだ。

「おぉ、なかなかこれは、賢い心が詰まっていそうだ」
「√を使えば、無限の数字にも、目に見えない数字にも、ちゃんとした身分を与えることができる」

ルートの頭をくしゃくしゃなでながら、そう言って博士は微笑む。
80分しか記憶のテープを持たない博士は、毎日初対面の挨拶を繰り返す。それでも「私」とルートは細やかな気配りと深い愛情をもって博士と接する。

そんな彼らの時間はとても穏やかであたたかい。
時々小さなすれ違いはあるものの、相手を思う心は強く、まっすぐで、揺るぎない。
記憶には残らなくとも、決して失われることのないもの、それは彼らの時間の中に確かに存在していた。

続きを読む(微妙にネタバレ)
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2007年02月21日

月魚

月魚
■■月魚■■

三浦しをん『月魚』を読んでいる。
以前2ページほどの掌編を読んだことがあるだけで、長い小説を読むのはこれが初めてだ。
図書館でなんとなく目に留まり、なんとなく借りてきてしまった。
三浦しをんが彼か彼女かもわからないし、今読んでいる作品がこの作家にとってどういう位置づけのものかもわからない。
けれど今こうしてこの作品を読んでいるのはきっと何かの縁なのだろう。

私と本(作家)の出会いはこうした偶然が結構多い。
いちいち前評判を調べたりするのが面倒というのもあるが、むしろこういった偶然の出会いを好きなのだ。

残念ながらその作品が面白くなかった場合、その作家をそれ以上読む気がしなくなる。
しかし、たまたまその作品が作家の得意分野ではなかった、という可能性は残る。
恋愛モノを書かせたらピカイチなのに、あえてアクションにチャレンジしてみた(そして返り討ちにあった)作品かもしれない。
そう考えると偶然に頼るというのも勿体ないところはある。

けれど、それでもいいんじゃないか、とも思う。
私とその作家との間にそれだけの縁しかなかったのだ。
それに私には、出会うべき作家にきちんと出会うことができるという根拠のない自信がある。

三浦しをんはまだ1/5しか読んでいないのでなんともいえないが、なんとなく心をざわざわさせてくれる作家のようだ。
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2007年02月17日

いつかパラソルの下で

いつかパラソルの下で
■■いつかパラソルの下で■■

『いつかパラソルの下で』を読む。
森絵都さんの作品といえば、なんとなく「ピュアな少女」的なイメージがあったのだが、これは違った。

厳格な父、その父に寄り添ってきた母、厳しい父とそりが合わず家を飛び出した兄と姉、そんな兄と姉を反面教師に「良い子」を生きる妹、の5人の家族の物語である。

ある日、父親が突然死んでしまう。
その死は家族に、父親の意外な秘密を運んでくる。

三兄弟は父親の秘密を探り始める。
最初は、真面目に怒りを募らせる妹に、フーテンな兄姉が引っ張られるかたちだったが、父の秘密を探っていくことで、やがてそれぞれが前に向かって進み始める――。

とまあそういった話だが、あまり重い感じはしない。さらっと読める。

本文が三兄弟のなかでもいちばん飄々としている長女の一人称で語られているせいだろうか。
父の秘密を探るにしても、すぐに「まぁいいか」と流されてしまう兄姉にたいして「あたしは諦めないよ」とひとりいきり立つ妹の様子もなんだかおかしい。
(この妹の一途さは『グッドラックららばい』の妹りっちゃんを彷彿とさせる。応援したくなる)

でも私にはその方がしっくりくる。
大切なことこそさらりと語るほうが、きっと、カッコイイと思うのだ。
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2007年02月12日

モンスターフルーツの熟れる時

モンスターフルーツの熟れる時
■■モンスターフルーツの熟れる時■■

小林恭二さんという作家がいる。
私のなかで、J・アーヴィング、P・オースターと並ぶ三大巨匠だ。

そんな小林さんの作品『モンスターフルーツの熟れる時』は連作短編集である。
小さな子供がひとり、またひとりとモンスターフルーツという得体の知れない果実に成熟していく。そして世界は――
というような話だったと思う。

実はずいぶん昔に読んだので、詳しい筋は忘れてしまった(←オイ)。
けれど、読んだ直後の気持ちはいまだに鮮明に覚えている。

なんという想像力。そして、なんという創造力。

この本を読む頃にはすでに小林恭二という作家に馴染んでいたはずなのに、それでも読み終わったときは圧倒されていた。

平凡に見えた世界が、そこでひそやかに生まれた小さな存在が、少しずつ、少しずつ変わっていく。
その変化には、それぞれわりときちんと理由がある。合理的だ。にも関わらず、その理の展開する先には見たことのない世界が広がっているのだ。

荒唐無稽な世界へ、理性をもって導く。

これこそまさに小林さんの真骨頂だと思う。
精緻な理論に引き込まれ辿りついた、広大な想像力の世界に、読者はただただ圧倒されるのだ。

こういう才能と同世代に生きられることを、とても、とても幸せに思う。
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2007年02月08日

蛇を踏む

蛇を踏む
■■蛇を踏む■■

川上弘美さんの『蛇を踏む』を読む。
文春文庫から出版されていて、「蛇を踏む」「消える」「惜夜記」の3作品が収録されている。
芥川賞を受賞したから、というわけではないけれど、個人的には「蛇を踏む」が一番よかった。

ヒワ子という女性が、公園で蛇を踏んでしまったところから、この物語は始まる。
「踏まれてしまったからには仕方ありませんね」
そういって、蛇はヒワ子の家に住みついてしまう。
蛇は、ヒワ子の「母」だと名乗り、執拗にヒワ子を蛇の世界へ誘うようになる。
ヒワ子はそんな蛇の世界に魅力を感じているが、彼女のなかの何かが蛇の世界へ行くのを押しとどめている。
あやうい均衡を保ちつつ、ヒワ子と蛇の生活は続くが――。

とまあこういった話で、読んでいるうちにどんどん引き込まれてしまったのだ。
川上弘美さんの物語には、今まで読んだことのない独特の設定とシステムがある。
それらは、この現実世界からすると、とうていありえないコトなのだけれど、不思議と説得力がある。

きっと川上さんの世界と、現実の世界はぎりぎりのところでつながっていて、そのバランスがとてもうまくとれているのだろう。
だからこそ、物語にいきいきした空気が宿るのだ。

ただ、「消える」と「惜夜記」は、話にうまくついていけなかった。川上さんの世界の方が少し大きくなりすぎてしまったような感があった。

「蛇を踏む」は、芥川賞作品としては、珍しいタイプだ。
けれど、現実と物語の抜群のバランスのよさは、賞をもらうのに十分だったのかもしれない。
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2007年02月06日

失われた町

失われた町
■■失われた町■■

『失われた町』を読む。
三崎亜紀氏は、『となり町戦争』に続いて2冊目である。
実は最初に読みたいと思ったのはこの作品であったが、せっかくなのでデビュー作『となり町戦争』から読むことにしたのだ。
ものごとには順番というものがある。
となると、次は『バスジャック』(←2作目)なのではという話になるが、そこはそれ、オトナの事情というやつである(←勝手)。

『失われた町』は、タイトルのとおり、町が失われる話だ。
もう少し正確にいうなら、失われるのは町そのものではなく、そこに住む人々である。

30年に1度、町から人が消滅する。
どの町が失われるのかはわからない。
町の人たちは、わかっていながら、なぜか消滅に抗うことができない。
けれど町はすべてを奪う。とても、とても、理不尽に。
失われるのはそこに住む人だけではない。
失われた町に関わるすべての人から、声を、視力を、記憶を、そして命を奪っていく。

私は人が死ぬ話が苦手だ。
どのように描いたとしても、悲しいに決まっている。
そしてそれはなんというか、ズルイ、と思ってしまうのだ。
「失われる」というのは限りなく死に近い。
だから悲しいに決まっている。泣けるに決まっている。
案の定、何度も泣かされた。

でも私はこの物語が好きだ。
希望を信じる強い心と目的へと向かう揺るぎない意志、
この物語は、絶望の中にありながら、そういうものに溢れている。
結局そのおかげで、さらにたくさん泣かされたのであった。
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2007年02月02日

いしいしんじのごはん日記

いしいしんじのごはん日記
■■いしいしんじのごはん日記■■

『いしいしんじのごはん日記』を読む。

その名の通り、作家いしいしんじさんの日々のごはんが綴られた日記である。
好きな作家の食べ物の話、これはもう読まざるを得ないのである。

実はこの『ごはん日記』、今もWebで公開されている。
だからわざわざ本を買う必要はないのだが、落ち着いて読みたかったので購入してみた。
文字が紙に印刷されていないとうまく頭に入ってこないのである。
仕事の書類にしても、本気で読まなくてはならないものは必ず印刷する。
アナログな人間なのだ。

で、『ごはん日記』(文庫版)。
2001年9月12日(水)から唐突に始まり、2002年12月31日(火)で終わっている。
そのあいだ、三崎という港町に暮らすいしいさんは、かなりの率で魚を食べている。
うるめいわし、めといか、赤むつ(←三崎最強の魚、といしいさんは言う)、かます、いさぎ(←三崎では「いさき」ではなく「いさぎ」というらしい)、その他いろいろ。

私はふだんあまり魚を食べないので、ここに書いた魚がどういう魚でどう料理したらおいしいのか、実はよくわからないのだが、とりあえず「めといか刺し」「かます塩レモン」「いかと里芋の煮物」はぜひ食べてみたいと思った。
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2007年01月30日

裏庭

裏庭
■■裏庭■■

『裏庭』を読む。

ファンタジーである。
カタカナのよくわからない名前の架空の生き物や場所がたくさん出てくる。
にもかかわらず、物語全体がひどく現実的であり、システマティックに構成されている。
ファンタジーだけど安易な夢物語ではない。
伏線はきちんとはってあるし、起承転結もしっかりしている。

そして、主人公の照美がいかにして自分のなかにある傷とかかわっていくかというのが丁寧に書き込まれている。
照美は「裏庭」での冒険を通じて、「いかに傷を克服するか」ではなく「いかに傷と共存するか」を学ぶ。

一度負った傷は、もうもとには戻らない。そこから先は傷と一緒に生きて行くしかない。
けれど、傷とともに生きることは決してネガティブなことではない。
傷を負うことで、人は変わっていく。
賢くなり、強くなり、そして優しくなるのだとこの本は語っているように思う。

「傷」について書かれた本はほんとうにたくさんある。
そこには、実にさまざまな「傷」とのかかわり方が示されている。
しかし、「がんばって傷を克服しよう」みたいな空気が漂っているものがほとんどだ。
その空気が感じられると、それがひどく安直で自分勝手な意見のように思えてなんだかがっかりしてしまう。

傷を負った痛みは、その人にしかわからない。同じ痛みを本当にわかちあうことはできない。
この世界に一個体として生まれた以上、この孤独は避けられない。
けれど、その孤独とともに、素敵に優しく生きて行くことは可能だ。
この本の語る「傷」とのかかわり方は、今まで読んできた本の中で一番私にしっくりとなじんだ。
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2007年01月29日

となり町戦争

となり町戦争
■■となり町戦争■■

『となり町戦争』を読む。
出版された当時から気にはなっていたのだが、きっかけがつかめずに今に至る。
しかし今回、文庫版が発売され、映画化が決定し(←また瑛太が出ている。彼はほんとうにものすごく忙しいんじゃないだろうか)、雑誌で『失われた町』(←同じ作家の新作)が大絶賛されていたので、このウェーブに乗ってみることにした。

ある日、町の広報に「となり町との戦争のお知らせ」という記事が掲載される。期間は6ヶ月。
一見普通の暮らしが続く中、広報に掲載される戦死者の数はどんどん増えていく。
紹介文には「見えない戦争を描いた衝撃作」とあるが、ほんとうにそんな雰囲気だった。
主人公はそれなりにこの戦争にかかわっていくのだが、それでもこの戦争のリアルはつかめない。

対照的に、この戦争を業務として遂行する町役場の様子がとてもリアルだ。
すべてがきちんとマニュアル化され、それに従って行動する。
何をするにもまず書類。そして印鑑。
「お役所的」なこうしたルールは滑稽だが笑えない。これは戦争なのだ。

業務を遂行するためのマニュアルはあまりにも厳密で完全である。
「戦争」という特別な業務だからなおさらかもしれないが、その完全さは息苦しく、その厳密さはときに非人間的であるとさえ思う。
けれど、おそらく役所の人には、こうした厳密で完全なルールを守り、遂行する義務があるのだ。
どんな例外も認めない。認めたら彼らの守るべき世界は破綻する。

結局「見えない戦争」の裏にある「お役所」の葛藤と悲哀、そういうものに目が向いてしまったのであった。
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2007年01月28日

遠い太鼓

遠い太鼓
■■遠い太鼓■■

村上春樹さんの『遠い太鼓』を読み返している。
紀行ものやエッセイはほとんど読まないし、一度読んだ本を読み返したりもしない私だが、この本だけはなぜかとても気に入っていて、機会があれば時々読み返す。

『遠い太鼓』は村上春樹さんが37歳から40歳までの3年間、ヨーロッパに暮らした日々をつづったものである。
主にギリシャとイタリアに滞在しており、この本の舞台もほとんどがギリシャあるいはイタリアである。
それなりの平穏とそれなりの波乱をともない、作家村上春樹のヨーロッパでの毎日が淡々とつづられていく。
この淡々とした雰囲気も好きだし、エピソードごとに章が細かく分かれていて、
どこから読んでもするっと入り込めるのもいい。
ちなみに今日はヴァレンティナという女性にギリシャでの住家を紹介してもらうくだりを読んだ。
(キスマーク付きの地図はすうううううううっごく素敵だ)

この本は不思議だ。
読み始めるとすぐにするっと肩から力が抜ける。
本の中からゆっくりと立ち上ってくる優しく穏やかな空気に安心して身をまかせることができる。
同じ紀行もの(?)である、沢木耕太郎さんの『深夜特急』も悪くはないが、それでもやはりこれほどの信頼と安心感を得ることはできない。
どうして村上春樹さんにはこんな文章が書けるのだろう。私にはとても書けない。
と、書くことさえ恥ずかしいと感じるほどに、彼の文章は完成され、そして遠い。
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2007年01月20日

アイルランドの薔薇

アイルランドの薔薇
■■アイルランドの薔薇■■

『アイルランドの薔薇』を読む。
作者である石持浅海氏は、J・アーヴィングや伊坂幸太郎のように
新刊が出ると「読まなければ」と思う作家ではないが、本屋で見かけると、なんとなく手に取ってしまう。
『アイルランドの薔薇』は北アイルランド問題を扱ったミステリである。
アイルランドは今も南北に分断され、カトリックとプロテスタントの悲しい争いが続いている。
『アイルランドの薔薇』はそんな悲しい争いから生まれた、悲しい事件を描いている。
探偵役の日本人フジを除くすべての登場人物が外国人なので、視点も価値観も独特だ。
フジがややできすぎであることを除けば、構成が緻密でテンポもよく、最後まで楽しく読めた。

ところで私は昔から歴史(というか社会科全般)が苦手である。
昔に何が起こって、今の世界ができあがっているのか、実はほとんどわかっていない気がする。
だから『アイルランドの薔薇』で描かれている北アイルランド問題についても、実はまったくといっていいほど知らなかった。なんだか恥ずかしい。
しかしこの本を読んで、インターネットで熱心に調べ込んだため、逆にムダに詳しくなる(←とはいっても大したことはないが)。
こういうことは、本を読んでいると時々起こる。
これもまた、私にとって、本を読むことの楽しみのひとつである。
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2007年01月18日

終末のフール

終末のフール
■■終末のフール■■

『終末のフール』を読む。

3年後、地球に隕石が落ちて世界が終わる。
まさにそんな終末の人々を描いた短編集である。
短編集とはいえ、1話1話きちんと読み応えがある。
色々なことを感じ、考えながら、最後まで興味深く読んだ。

人は皆、それなりに心を縛って生きている。
しかし、「世界が終わる」「未来がない」
その事実は否応無しに人の心をほどいてしまう。
良い方向にほどける人もいれば、悪い方向にほどけてしまう人もいる。
私は、どちらなのだろうか。
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2007年01月07日

yomyom

yomyom
■■yomyom■■

『yomyom』(ヨムヨム)という雑誌を読んでいる。
新潮社から出ている小説・エッセイなどを集めた雑誌である。
もともと雑誌はほとんど読まない私だが、真っ赤な背景に描かれたパンダのヨンダくん(←ややこしい)に、ズキュンと心を打ち抜かれてしまった。

ところで私は昔から、新潮文庫が好きだった。
やわらかいカバー、それにつつまれた少しだけ古びた紙質のページ、そして紐のしおり。
そこには他の出版社にはない「本を読む人」に対する細やかな愛情を感じる。
やわらかいカバーと少し古びた紙質のページは本そのものを軽くする。
紐のしおりは読むのを中断しても、はさむものを探す必要をなくしてくれる。
(私はほんとうによくしおりを無くす。そんなときはたいていレシートを挟むが、とても不本意だ)

数年前から新潮文庫のキャラクターとなったパンダのヨンダくんも大好きだ。
新潮文庫のカバーについている応募券を集めてゲットしたヨンダくんグッズは数知れない。
ちなみに最大の戦利品は応募券30枚を集めたヨンダくんトートバッグである。
めんどくさがりの私が、人生において応募券を集めて何かをもらおうとすることなどありえないと思っていたが、案外やればできることに気づいた27歳の秋であった。
とまあこれくらい新潮文庫には愛情と熱意を持っているわけである。

ということで『yomyom』を読み始めたのだが(←もちろん応募券はついている)、これがなかなか面白い。
もともと飛ばし読みとか拾い読みができない性質で、小説と同じように最初からガッツリ読んでしまう。雑誌の意味があまりない。
しかし、普段読まないエッセイや対談集や読んだことのない作家の小説もなかなかに興味深く、なんだか得した気分になる。
半分ほど読んだが、やっぱり川上弘美さんの短編小説は素敵だし、
いしいしんじさんのエッセイを読んで直島へ行きたくなったし、
大平先生(精神科医)の対談にはううむと考え込んでしまった。
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2006年12月17日

小説以外

小説以外
■■小説以外■■

恩田陸『小説以外』を読んでいる。エッセイである。

私はふだん、ほとんどといっていいほどエッセイを読まない。

教科書的なものを読むときは別として、文章を読むという行為は、そこから自分で考え、結論を出すことにも喜びがあると思っている。
結論がハッキリ書かれているエッセイは、なんだかつまらないのである。
知識を得るにはあいまいで、自分で考えるには明快すぎるのだ。

それでも時々こうして手に取ることもある。
たいていは熱心に読んでいる作家が出したエッセイである。

時代を超え、歴史に刻まれるのは書いた人間の名前ではなく、文章(物語)そのものだ。

と、恩田さんも『小説以外』のなかで書いており、それはまったくその通りだと思うのだが、それでも素晴らしい作品を創り出した人間に対する興味は尽きない。そのうえ、書き手の文章力に絶対の信頼があるから、安心して読める。

このエッセイのなかで特に印象に残ったのは「MPに捧げるユージニア」という章である。
恩田さんはこのMP、ミシェル・ぺトルチアーニというミュージシャンをこよなく愛している。

『 同世代に好きなミュージシャンがいるというのは幸せなことだ。
  他にも好きなミュージシャンはたくさんいるが、
  生み出す全てのフレーズを愛することができたのは
  今までのところ彼しかいない 』

この文章を読んでいて、ピロウズの山中さわお氏を思い出した。
私にとって、生み出す全てを愛することができるミュージシャンは、今のところ彼しかいない。
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2006年12月15日

間宮兄弟

間宮兄弟
■■間宮兄弟■■

「だって間宮兄弟を見てごらんよ。いまだに一緒に遊んでるじゃん」

そんな帯の言葉に惹かれて購入した江国香織『間宮兄弟』を読む。
久しぶりの江国香織はなかなかよかった。

江国さんによると、間宮兄弟は揃って「そもそも範疇外。ありえない」出で立ちの男性である。そんな厳しい現実そのままに、物語の中でも(物語の中なのに)間宮兄弟の恋はやっぱり実らない。

それでも間宮兄弟は二人で毎日幸福に暮らしている、ように見える。
兄はビール、弟はコーヒー牛乳を飲みながらビデオでお気に入りの映画を見たり、朝までジグソーパズルに熱中したりしながら毎日を暮らしている。
兄弟それぞれに好きなものがたくさんあって、それらがひとつひとつ丁寧に描かれる。

江国香織といえば、美しく感覚的な言葉でふわふわと綴られる恋愛小説というイメージがある。
しかし、仲のよい兄弟、あるいは姉妹を描く筆力こそ彼女の最大の魅力だと個人的には思っている。

江国さんの描く兄弟、あるいは姉妹はひとりでも十分魅力的だが、二人で過ごしている様子がまたすばらしく惹きつけられる。
長い時間を一緒に過ごしてきたもの特有の暖かなつながりと緩やかな孤独。
彼女の描く兄弟、あるいは姉妹は深い深いところで結びついていながら、お互い限りなく孤立しているのだ。

『間宮兄弟』の間宮兄弟も、間宮兄弟が恋する本間姉妹もとても魅力的だ。一人っ子なので実際のところはわからないが、彼女の描く兄弟姉妹を見ていると、自分にも姉か妹がほしくなる。

***

というようなことを昔日記に書いていたのだが、映画はまだ見ていない。
当時は忙しくて、映画どころではなかったからだ。
仕方がないので、ケーブルテレビで、映画の主題歌RIP SLYME「Hey,Brother」のPVを繰り返し見ていた。
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2006年12月03日

戦争の法

戦争の法
■■戦争の法■■


『戦争の法』を読む。
分厚いハードカバーの上に、開いてみるとそれはもうぎっちりと文字が詰まっている。
題名も題名なので、持ち歩いていたここ1週間ほど、いろんな人に
「えらい本読んでんな……」
とギョッとされた。

しかし、実際の戦争についての話ではない。完全なフィクションである。
時は冷戦時代、まだソ連があった頃、日本のとある県(N***県と書いてある)が独立宣言をする。
日本人による日本国内の事件であったにも関わらず、そこにはアメリカとソ連の力が確実に働いていた。
そんな状況下のN***県に生まれた中学生の「私」と「千秋」。
二人はやがて中学をドロップアウトし、反独立政権のゲリラに身を投じることになるのだが――。

最初は確かに読みづらかった。
感情的な描写が一切そぎ落とされた、事実だけの硬質な文章。
しかし、いつのまにかそれに引き込まれていた。
「私」と「千秋」の辿る数奇な運命から目が離せなくなった。
佐藤亜紀さんという女性が書いている小説なのだが、とても女性が書いていると思えない。
感覚的な美しい文章も好きだが、こういう硬く鋭い文章も悪くない。
久しぶりに読み応えのある物語に出会った。幸せである。
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2006年11月27日

椰子・椰子

椰子・椰子(文庫版)
■■椰子・椰子■■

川上弘美さんの『椰子・椰子』(やし・やし)を読む。
薄いのとイラストが多いのとで一日で読めてしまった。

この本は、ある女性の日記形式になっている。
彼女のすごす毎日には、ほんの少し奇妙な出来事が起こる。
しかし彼女はそんな毎日を、全く自分のペースを崩すことなくきっちりと生きている。
出かけたいときには出かける。綺麗にたたんだ子供を箪笥にしまって。

そういった奇妙でとぼけた世界が、実に自然に描かれているので読んでいるほうはちっとも違和感を感じない。
むしろ、日々少しだけ奇妙な出来事が起こるこの世界にいつのまにかすっかりなじんでしまうのである。
どうやら川上弘美さんはとても綺麗に嘘をつく人らしい。

こういう人がおばあちゃんになると、

「今日、そこでもぐらに会ったのよ。
一緒に写真撮ってもらっちゃったわ。
 もぐらってあんたたちと同じくらいの背の高さなんだねえ。」

なんて涼しい顔をして子供たちに言ったりするのだ。
そして子供たちはいちいち翻弄される。
なんとなくもぐらを探してまわってみたり。
なんて素敵なおばあちゃんだろう。
私もそんなおばあちゃんになりたい。きっとすごく楽しいにちがいない。
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2006年11月24日

アジアンタムブルー

アジアンタムブルー(文庫版)
■■アジアンタムブルー■■

『アジアンタムブルー』が映画化されるらしい。
私は恋愛小説が苦手で、あまり読まないのだが、この本はかなり以前に読んでいて、そして日記を書いている。

* * *

恋愛小説というのは、他の小説により読者を「完全に」引き込まなくてはならない。
だから二人で過ごすクリスマスの夜はお好み焼きではなくボルシチであるべきだし、
部屋に置いてあるのは十分の一スケールのシャア専用ザクではなくアジアンタムの鉢植えであるべきだし、
余命少ない恋人と最後に過ごす場所は有馬温泉ではなく南仏ニースであるべきだ。

しかし、その上で読者がシンクロできるリアルがなくてはならない。

それは実にギリギリのバランスの上に成り立つものであり、そういうバランス感覚が作家の力量を測るものさしになるといってもいいだろう。
恋愛小説とはなかなか大変なものだ。

そういう観点からすれば、作者である大崎善生氏はバランス感覚に優れていると思う。
上で書いたみたいに、脇を固める小道具が小洒落たものばかりで、登場する人はなんだかいい人ばかりで、ウソ臭いといえばウソ臭いのだが、これが「恋愛小説」であるということで十分に受け入れられるものだった。

そして、主人公が、恋人が、語る言葉が美しい。
彼らの語る言葉は、ひとつひとつ、小さなかけらとなって物語のなかで控えめに瞬いている。
そしてそれは、物語が終焉に向かうにつれ、より強く輝き始める。
その光はとても美しく、そして哀しい。

* * *

この小説の静かな美しさを、映画ではどう表現しているのか、気になるところだ。
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2006年11月21日

NIKITA

私は普段、ほとんど雑誌を読まない。
しかし、発売されるとつい表紙をチェックしてしまう雑誌がある。
その雑誌の名は『NIKITA』(ニキータ)。

ナイスアデージョ
■■NIKITA (ニキータ) ■■

世間に、ちょい悪オヤジを増殖させ、さらにパンツェッタ・ジローラモ氏を「サンマさんサンマさん!」しか言わない安いピッチレポーターからカリスマモデルに押し上げたイタリア系濃厚雑誌『LEON』(レオン)の女性版である。
表紙のいかめしいイタリア女性(たぶん)が誰かは知らないが、この雑誌も、艶男(アディオス)にモテたい艶女(アデージョ)の増殖に一役買っている、と思う。

NIKITAのコンセプトはとにかく

「30代、モテる艶女(アデージョ)をつくる!」

なのだが、それを踏まえて毎回表紙にババーンと掲載されるキャッチコピーがとにかく面白い。
毎回誰が考えているのかと遠く編集部へ想いを馳せてしまうほど、そこにはセンスが光っているのだ。

・体形も洒落度(シャレード)も思いのまま!

・「柄美女(ガラージョ)」の作り方!

・アナタに足りないのは野性味なんです!
 この秋モテるのは「野獣美女(アニマリータ)」!!

・コムスメに勝つ!

・さらに、コムスメに勝つ!!(←2ヶ月に渡って大特集)

あるエッセイストがNIKITAを読んで「NIKITA語はタテヨコ自由自在である」と評しているが、なかなか的を得た表現だと思う。
で、今回は「カービーボディの作り方!」だった。
上の輝かしいラインナップに比べるといささか地味だが、横に小さく書いてある文字に気づく。

「あなたに必要なのは"若さ"じゃなくて"テクニック"!」

どうやらコレは常に表紙に書いてあるものらしい。
たいへん的確なお言葉だが、余計なお世話なのであった。
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2006年11月19日

砂漠

砂漠
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「あのひと、変わってるよね」
そう言われる人がいる。
理解しがたい発言や行動などを目の当たりにすると、人は戸惑い、この台詞を口にする。
しかし、そういう人を認める、あるいは受け入れる人もいる。
実はそういう人こそ「変わっている」といわれている人以上に、変わっているのではないだろうか。

社会人になって10年目を迎える現在の私は、伊坂幸太郎『砂漠』を読んで、そんなことを考えていた。

『砂漠』は5人の若者の大学生活を描いた小説である。
麻雀したり、合コンしたり、恋をしたり、たくさんの大きいのか小さいのかわからない出来事とともに、彼らの4年間は過ぎていく。

その様子はあまりにもリアルだ。
彼らは限りなく自由で、無鉄砲で、そして儚い。

読んでいると昔の記憶が蘇ってきた。
今ではあまり思い出すこともなくなった、けれどとてもなつかしい記憶が。

「変わった人」が「変わった人」のままでいられた。
「変わった人」を「変わった人」のまま受け入れることができた。

「変わっていること」、それを「受け入れること」のために、周囲を窺う必要などなかった。
それはなんと眩しく、いとおしい時代だったのだろう。

大学生活の終わりとともに、この小説も終わっている。
社会という砂漠に出て、長い長い時間を過ごしていく彼らに、これからどのような変化が訪れるのだろうか。
私のように、学生時代を懐かしく思い出すのだろうか。
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